青山ミチ元祖ハーフ歌手2月7日逝く [芸能界]

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青山ミチ(13歳)ジャズ喫茶「横浜テネシー」のコンテストに参加、3位に入賞しコンテストの審査員高木晋司は、自ら経営するエコープロに彼女をスカウトした。レコード会社はポリドールに決まり歌手青山ミチ元祖ハーフ歌手の誕生だった”


一時期は人気を得たがやがてブラウン管から彼女の姿は消えた。1970年「全日本歌謡選手権」というオーディション番組が始まった。この番組はアマチュアは勿論だが売れない歌手の再起を目玉にした番組だった。審査員は「船村徹」「山口洋子」 「平尾昌晃」歌手の「淡谷のり子」と言う凄い顔が揃っていた。

その年2月青山ミチが出演した見事に10周を勝ち抜いてグランドチャンピオンに輝いた青山ミチは21歳に成っていた。審査員の船村徹のコメントが印象的だった。

「あんたは歌がうまい、歌一筋に歩なさい」と言た。青山ミチは泣いたその意味は誰も知っていた。売れない時代の青山ミチは覚醒剤使用などでマスメディアを騒がしいいた。時代は高度成長期でテレビ人気の真っ最中の時代でフジテレビの「ザヒットパレード」や日テレの「シャボン玉ホリデイ」が大な視聴率叩きダイナミックに歌える歌手が欲しかったのだ。

見事にグランドチャンピオンに輝いた元祖ハーフ歌手青山ミチにはレコードや番組が待ち受けていた「叱らないで」「或る女の人生」はまさに青山ミチの人生を語る要な曲でヒットした「叱らないで」などは今でもカラオケで聞く事が有る。

ちなみに「全日本歌謡選手権」で再起した歌手は歌謡界の大御所は五木ひろし「よこはまたそがれ」八代亜紀などがいる♣

青山ミチは生き方が不器用

「全日本歌謡選手権」で再起したにも関わらず青山ミチは再びスキャンダルで世間を騒がした。真面目に生きる事ができない歌手だった。生まれがハーフと言うハンディキャップが彼女をそうさせたのか当時はハーフの歌手などは存在していなかった。当然の如く友人関係も有りません。正に生き方が不器用と言はざるを得ない青山ミチであった♣

おわりに

天才的な歌唱力を持った青山ミチはいつしか完全に消えた。もしと言う言葉が有れば青山ミチに芸能界に友人が居れば彼女の人生も大きく代わっていたと思う。やはりどの要は環境でも人間は一人では生きられないのだ。青山ミチの最後は決して過去のグランドチャンピオンに輝いた青山ミチではなかった要だ♥


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