小林茂投手の魂の投球と江川投手の運命 [野球]

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1977年は小林茂投手 江川卓投手にとり人生を変える年と成る


ドラフト会議はクラウンライターライオンズが1位指名は江川投手とした、福岡は遠いと否定した江川投手は作新学園の職員としてアメリカ留学をするのです、社会人球団に在籍すると2年間のプロ入りが出来ない規定が有る為です。翌年1978年のドラフト会議に又も巨人軍以外の球団が指名した(4球団)のです、そこで巨人軍は江川投手はドラフト外選手と主張する(空白の1日)を利用したのですが、問題はエスカレートして国会まで議論は及んだのです。


結局は江川投手は阪神に入団したのです、意外と知られていない背番号は3番でした、そこで始まるドラマは二人の投手の運命を変えるのです、巨人軍は阪神球団の江川投手と巨人軍投手小林茂投手の交換トレードに及ぶのです、小林茂投手投手は76年77年と18勝と巨人軍の優勝に貢献した正にエースだったのです、小林茂投手の意地は1979年22勝沢村賞受賞や巨人戦8連勝でした、その年の小林茂投手の投げる球は魂のこもる様に観えました、表情は野球選手の顔では無く格闘家の表情だったのです、その翌年に小林茂投手は引退を表明しました、その後の小林茂投手の人生は悲惨と思えるのです

離婚、裏切られたり借金問題と決して幸福とは掛離れた人生でした。
2010年心筋梗塞で他界当時年齢(57歳)でした、人間の運命は不思議ですね、巨人軍がドラフト会議で正当に江川投手を引いて居れば、小林茂投手の人生は又違う人生だった様に思えるのは私だけだろうか、考えさせられる二人の投手でした、今世間は巨人軍監督は江川卓と言うが解らない神のみぞ知るでこのページを終わります♣



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