東福岡高校サッカーを強化した人物は亡き寺西忠成 [サッカー]

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寺西忠成は1997年1月14日東福岡の選手権2連覇を見届け他界した72歳だったのです”

寺西忠成は広島県のサッカー選手だったのです1947年福岡の八幡製鉄に入社したのです、ほぼ素人集団のチームに同郷の広島より選手を集めチームの強化をはかった1951年寺西忠成が監督に就任し昭和30年に黄金期を築く天王杯全日本サッカーに4度出場し優勝1回準優勝3回と八幡製鉄を全国区にしたにです。

寺西忠成は当時誰もしない外国のサッカー指導書を買い込み最新理論を分析する戦術研究の先駆者だったのです八幡製鉄を退社した寺西忠成は1989年当時県予選でどうしても勝てない東福岡強化に無償でコーチに就任したのです、今総監督の志和と10年間指導「天下を取る」が口癖だった。

極めて高いレベルのプレーを要求する又精度の高い基本プレーを指導して権大会に勝てないチームを1997年遂に史上初の高校3冠に導いたのです、寺西忠成はコーチで有りながら1度もベンチにいることはなく携帯電話で志和監督に支持していたのです。

寺西忠成は選手は孫のようなもの優しく指導をしていたのです1997年1月14日東福岡の全国3連覇(インターハイ・前日本ユース・高校選手権)を見届け他界いたしました寺西忠成は東福岡のコーチ時代決したマスコミにでることは有りませんでした。

尚寺西忠成は本来なら日本サッカ協会にポストを与えるべき人物だったのです九州の指導者は寺西忠成のチームの強化の方法を取り入れ今九州は全国でもレベルは高いと思います改めて寺西忠成の強化法の凄さを思い知り命日に手を合わせたいと思います♠

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